私好みの新刊  20176

『すばこ』  キム・ファン/文 イ・スンウォン/絵 ほるぷ出版

 近年は森が減ってきて樹洞も少なくなり巣箱の大切さが改めて見直されて

いる。森林公園などでは巣箱が各地にかけられたりしている。街の中では愛

鳥家たちは自宅の庭に巣箱をかけて野鳥と親しんでいる。巣箱は野鳥にとっ

ては大切な巣作りの場となっているし,市民にとっては野鳥に親しむ大切な

場でもある。では,このような野鳥の巣箱作りは,いつごろどこのだれが考

え出したのだろうか。鳥の巣箱が生まれてきたお話がこの本に楽しく紹介さ

れている。

 時は1900年頃のドイツのお話。巣箱作りを思いついたのはとんでもないきっ

かけだったようだ。この本によると,巣箱は「さいしょ、スズメやムクドリ、

ハトのひななどを つかまえようとして おいた わなだったのです」とある。

なんと巣箱は鳥の卵を採るための罠だったのだ。しかし,同じドイツに鳥のさ

えずりを聞くのが何よりの楽しみにしていた一人の男爵がいた。男爵は,広大

な領地に「どうすれば、もっと多くの鳥が きてくれるだろう?」と森を散歩

しながら考えていた。鳥が水浴びする場所も作り,実のなる木をたくさん植え

ることもした。それでもなかなか鳥たちは来てくれない。そこで男爵は考えた。

「鳥たちが あんしんして 子そだてできる家が あればいいのに…。そうだ!

わたしが、その家を つくってやればいいんだ!」。こうして男爵の森にはた

くさんの巣箱がかけられていった。あるとき,ドイツ中部でほとんどの森が枯

れてしまう「事件」が起きたが,なんと男爵の森だけは枯れずに青々と茂って

いた。その原因は,男爵の森には野鳥がいっぱいいて,葉を食いつぶす幼虫を

せっせと鳥たちが食べていたからだった。このことがきっかけで,この男爵の

森の巣箱の話は世界中に広がった。日本でも当時の農商務省(農水省)にいた

内田清之助さん(『渡り鳥』岩波書店1941などの著者)が日本最初の巣箱をか

けたと記されている。世界にあるいろんな巣箱の紹介などもあり,見るだけで

楽しい巣箱の絵本である。イ・スンウォンさんの絵も斬新ですがすがしい。

                       20164 1500

『わたしたちのカメムシずかん』

たくさんのふしぎ)鈴木海花/文 はたこうしろう/絵 福音館書店

 副題に「やっかいものが宝ものになった話」とある。カメムシは昆虫の中でも

嫌われものの代表格である。匂いのきついのもいるし刺すのもいる。多くは農作

物をいためたりするので農家では駆除の対象にされる。そのカメムシを,子ども

たちが主役になって地域のカメムシ調査に発展させていった学校がある。岩手県

の小さな小学校での話で子どもがカメムシを調べていく様子が生き生きと描かれ

ている

 ことの仕掛け人はこの学校の女の校長先生である。11月のある日,廊下に紛

れ込んできたカメムシに幾種類もいることに興味を持った校長先生は,朝礼で

子どもたちに呼びかけた。「カメムシにはいろんな種類がいるようです。よく見

ると色や形がちがうし,…私も知らないことが多いのでいっしょに調べてみませ

んか」と。初めは子どもたちは校長先生の提案に戸惑っていた。しかし,なんだ

か楽しそうに話す校長先生のことばにのせられて子どもたちはだんだんとカメム

シ調べを始めていく。「校長先生、新発見!」などと子どもたちも図鑑と首っぴき

になって調べていく。子どもたちはだんだんとカメムシ調べが楽しくなってくる。

体育の授業中でも,校庭の草むしりの時も…。ついに,先生やお父さんお母さん

も巻き込んで学校林でのカメムシ探しにも発展した。廊下の壁にはカメムシの標

本がどんどん張り出されていく。いつのまにか子どもたちはカメムシ博士,カメ

ムシはどんな虫なのか,どんな姿で脱皮していくのか,どんな模様が特徴なのか

調べていく。カメムシが匂いを出すわけなどカメムシの生態についても子どもた

ちはくわしくなっていく。「カメムシはぼくたちの宝ものだねっ」と口にする子

どもたち。それを見て,校長先生は「カメムシずかんをつくろう」と呼びかける。

手作りのカメムシ図鑑ができあがった。校長先生は正確な名前が知りたくなり,

手作りの図鑑を専門家に見てもらえないかある出版社に問い合わせてみた。手作

り図鑑を見た専門家も興味を持ち,やがて,専門家による特別授業にも発展して

いく。実話をもとにした研究の楽しさが伝わってくる本である。 

  201611月 667

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